わたしの父が他界したのはいわゆる「ホスピス(緩和ケア)」のベッドの上でした。
…「いわゆる」と書きましたが、実は父のことがあるまでわたし自身はホスピスのことをよくわかってなかったんですよね。
今回は「ホスピス(緩和ケア)を選んだ経緯や感想を末期がん患者の家族の体験談」として紹介します。
まさに今、当時のわたしたちと同じ状況に置かれている人や家族の参考になれば幸いです。
それに、健康なうちに家族同士でそれぞれの意思確認をしておいた方が良いなと思ったんですよね。
この記事に記載している事象は医療知識の無い一般人が見たことや感じたことを書いているものであり、効果や因果関係を証明するものではありませんのでご了承ください。
目次
父は末期がん患者でした
ホスピスの話をする前提として、わたしの父や家族の状況を伝えておきますね。患者の年齢や家族の状況によってもホスピスを選択するのが良いかどうかも変わって来ると思うからです。
わたしの父は75歳で他界しました。父が亡くなった後、わたしは何人かの人に「まだ若いのにね」と言われました。
確かに厚生労働省が発表した2016年の平均寿命は女性=87.14歳、男性=80.98歳なので、それをものさしにすると父は若いことになります。
父自身は数年前にがんが発覚した時点ですでに手術ではどうしようもない状態であったことはわかっていました。亡くなる1ヶ月ほど前には食欲はほとんど無く、自宅でもずっと寝ていました。
家族は母は健在で、わたしは3人兄弟です。父が入院したホスピスは実家からも近く、わたしの自宅からも数十分で駆けつけることができる距離でした。
- 父の年齢は75歳
- 父自身もがんであることは知っている
- 実家から近いホスピス
- 家族がお見舞いに行ける距離に生活している
水分も摂取できなくなり病院へ
自宅で過ごしていた父の食欲が無くなり、とうとう水分も摂れない状態になったのは亡くなる1ヶ月ほど前のことです。それでも「病院へ行くのは明日の朝で良い」と言う父を主治医のいる病院へ無理やり連れて行ったのは12月29日の夜。
少し話が逸れますが、こういう時は絶対に救急車を呼んだ方が良いです。うちはわたしのクルマで父を病院へ連れて行ったのですが、ちょうどインフルエンザが流行っている時季でもあり、救急診療の受付待ちがかなりあったんです。
なんとか事情を説明して早めに対応してもらうことができましたが、なかなか融通が利かないものなんですね…
すでに日付が変わろうかという時間でしたが、父はそのまま入院することになりました。
食事はもちろん水分も摂れていなかったので、父はかなり衰弱していました。すぐに点滴を打ってもらい、少しは楽になったように見えました。
ですが、さすがにわたしは父にその日が近づいていることを覚悟しました。
病院のベッドの上で横たわる父を前に「幸いにも」と言うのは違和感がありますが、会社も学校も休みだったので毎日お見舞いに来ることができたのは本当に「幸いにも」だったんですよね。
父はなんとか新年を迎えることができました。
「ホスピス(緩和ケア)」か「一般病院」どちらを選ぶか
年が明けて数日が経ち、わたしたち家族は主治医に呼ばれました。この数年間、父を診てくれていた先生です。
父が非常に悪い状態であることが説明されました。
「これまではあと数ヶ月と思っていましたが、おそらく1ヶ月持つかどうかです。もしかしたら今日突然という可能性もあります。」
それは父のようすを見ていて十分にわかっていましたし、そのこと自体に改めておどろくということはありませんでした。
わたしがおどろいたのは父がこのままこの病院で最期を迎えることができないと知らされたことでした。
点滴を打ってもらい、少しはマシになったように見えましたが、こんな状態の父を転院させないといけないのかと思うとつらい気持ちになったのを思い出します。
別の日に専門スタッフの方との面談があり、転院先についての説明を受けました。実はわたしはこの時はじめて「ホスピス」のことを詳しく知りました。
父の転院先の候補がリストにまとめられ、そこには住所、病床数、1泊あたりの料金が記載されています。
希望すればどの病院でも転院できるわけではなく、順番待ちであったり、そもそも1泊あたりの料金が一般家庭では出せない金額があったり…やはりさまざまな制限があるんですね。
それよりも前にまず決めないといけないことがありました。
それが「ホスピス(緩和ケア)」を選択肢に入れるかどうかということ。
「ホスピス(緩和ケア)」とは?
「ホスピス(緩和ケア)」の定義については厚生労働省のホームページを引用しますね。
がん患者とその家族が、可能な限り質の高い治療・療養生活を送れるように、身体的症状の緩和や精神心理的な問題などへの援助が、終末期だけでなく、がんと診断された時からがん治療と同時に行われることが求められています。
出典: 『厚生労働省』
うちの父の場合は終末期だったので、病院で受けた説明ももう少し具体的だったように思います。
- 最優先するのは患者または家族の意思
- 延命するのが目的ではなくいかに最期を迎えるかを追求する
- 肉体的な痛み・精神的な痛みを和らげる
- 患者が食べたい物があればなんでも食べて良い
- 患者が望むのであれば飲酒・喫煙もOK
- 体調が良ければ帰宅しても良い
- 24時間お見舞い可能で家族が泊まることもできる
いろいろと具体例をあげて説明してもらいましたが、一言でまとめると
患者が望む最期を迎えられる
ということ。
ホスピスに対して、一般病院の場合は最期の最期まで死なせないようにする医療を施すという印象を持ちました。
これはわたしたちに説明をしてくれたスタッフの方がホスピスをすすめるスタンスだったことも大きく影響しているのかも知れません。
誤解を恐れずに言うと、単に心臓が止まっていない状態で延命することをわたしたち家族は望んでいませんでしたし、それは父も同じ考えだろうと思っていました。
ホスピス(緩和ケア)を選んで良かったと思う
結果的に父はホスピスに転院してから2週間で他界しました。
わたしたちがホスピスを選んだ理由のひとつに「帰宅も可能」ということがありました。父が入院したホスピスは実家にすごく近かったので、ほんのひと時でも帰宅できれば良いなと考えていたんですね。
残念ながら、どんどん衰弱していく中で、父が帰宅する機会はおとずれませんでした。寒い季節だったこともあり、車いすでちょっと散歩するということもできなかったのは心残りではあります。
ですが、それでもわたし自身は父がホスピスで最期を迎えて良かったなと思っています。
その一番の理由は24時間いつでもお見舞いに行くことができたこと。平日もわたしが仕事が終わって帰宅してから、父が大好きな孫を連れてホスピスへ行くことができました。孫の顔を見ると父は笑顔になりますからね。
それにテレビドラマでよく見る「ご臨終です。」という瞬間もホスピスは家族の意思に委ねられていました。
父が入院していたホスピスでは心拍計をつけていなかったのではっきりとはわかりませんが、心臓が動かなくなった時間が死亡時刻ではなく、わたしたち家族とのお別れがすんだ時間が死亡時刻でした。
また、これは因果関係やどちらが良かったのかはわかりませんが、はじめに入院をした病院で父はずっと点滴を打ってもらっていたので、排尿できない父の脚はパンパンに腫れて痛みもあったようでした。
ホスピスに転院してから、点滴を減らし、できる限り食事をすることで栄養を摂るようにしたんですね。
もしかしたら、医療の力で延命をすることはできたのかも知れません。でも、脚がパンパンに腫れ上がっても点滴を打ち続けるのは自然ではないと思いました。
「終活」はしておくべき
一般病院かホスピスのどちらに転院するかを決める時、病院の先生は言葉を選びながら慎重に話しているなと感じました。
それは「ホスピスに行く」ということはつまり「死を迎える」ということだからなんですね。
「ホスピス」という言葉に過敏に反応する患者さんや家族もいると先生やスタッフの方は話されていました。
確かに自分の死を受け入れるなんてことはなかなかできないですし、患者は死が近いことはわかっていても少しでも快くなるかも知れないという希望は持っていると思います。
実は父がホスピスに転院することを最終的に決めたのは父ではなくわたしたち家族でした。
実際、ホスピスに転院してから父は愚痴を言うこともあったんですね。
「前は毎日体温を計ってくれたのにここは毎日計ってくれへん。」
「あの先生はいつもニコニコしてるけど、裏がありそうやな。」
「お風呂に入れてもらう時寒いんや。」
変な言い方ですが、わたしは父の愚痴を聞いてうれしく思ったんです。愚痴を言うということは父には欲求があるということですし、まだまだ生に対する執着心があると感じたからなんですね。
「1ヶ月持つかどうか」とは言われたものの、もしかしたら父はもう一度桜を見ることができるんじゃないかとさえ思ったぐらいです。
家族目線、家族の立場・都合ではホスピスを選んで良かったと思っていますが、結局のところ、父にとってはどうだったのかな…とも思う部分もあるんですよね。
ホスピスか一般病院かという選択も、実際にその状況に追い込まれると聞きづらいということもありますよね。なので、万が一にそなえて、健康な状態の時に本人・家族で意思確認をしておくことが大切だなーと感じました。
この記事のまとめ
今回は「ホスピス(緩和ケア)を選んだ経緯や感想を末期がん患者の家族の体験談」として紹介しました。
わたし自身は特に末期がん患者にとって、ホスピスは人間らしい自然な最期を迎えることができる場所なんだと思っています。
一般病院が良いのかホスピスが良いのか、そんな判断を迫られている人がいるとすれば、少しでも参考になれば幸いです。
また、差し迫った状況で判断するのは想像以上に過酷ですし、健康な状態の時に意思表示をしておくのが良いですね。
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「自分が末期がんであることを理解している」ということは「死を受け入れる覚悟ができている」ことではありませんよね。
やり残したことがひとつもないという気持ちで死を迎えることができる人なんてひとりもいないんじゃないかなー。
だからこそ、やりたいこと、好きなことをどんどんやれば良い。父が最後に教えてくれたような気がします。
こんにちは! ごりら(@goriluckey)です!!