昨年の秋、病院のベッドの上で言った父の一言に、わたしはハッとした。
「おかしいな、なんで効かへんねやろなあ。」
わたしの父親は昨年の春先から入退院を繰り返していた。
一番はじめの入院は桜が咲く少し前。その日は朝から手が痺れていたらしく、自力でかかりつけの病院へ行ったら即入院となった。
「少しでも出血の位置が悪かったら半身不随になってたらしい」と母から聞かされた時、わたしは安心と同時に自分の親にもそういう時期が来たという覚悟をしないといけないのかな、そんなふうに感じた。
「今年は桜見られへんか…」と病院でつぶやいた父の姿を見てものすごくさみしい気持ちにもなった。
その後、幸いなことに、父の回復は早く、父が楽しみにしていた桜を父は病院の外で見ることができた。わたしの覚悟はすこし遠くへ行った。
それから1ヶ月ほどすると父はまた入院することになった。今度は検査入院だと。その検査入院も2週間ほどで退院した。
今思い返せば間抜けな話だけど、その時のわたしは「なんの検査やったんかな」そのていどにしか思っていなかった。
でもしばらくするとまた検査入院をすると言う。その時になってはじめて父が自ら「2年ぐらい前から前立腺が悪いんや」と言った。脳出血が原因の検査入院だと思っていたら全然違った。父はそれ以上話さなかったので、わたしは「そうなん…」とだけ答えた。
その日の夜だったと思う。母が父のいないところでわたしに話しかけて来た。
「お父さんなんて言うたか知らんけど、前立腺がん。もうかなり進行してるんやって。」
「がんが進行している」と聞いてことばを失った。少し遠ざけたはずの覚悟が一気に戻って来してまった。
しかも母によると2年前に発覚した時点でかなり進行していたらしい。もっと早く教えてくれよ、という気持ちよりも、家族に心配をかけない父らしいなと思った。母に対しても。
この間の検査入院も、今回の検査入院も、要は抗がん剤が少しずつ効かなくなって来ているので、抗がん剤を変えて副作用が出ないかを検査しているということだった。
父ががんと知ってからほぼ毎週末、わたしは子どもを連れて実家へ帰った。父は孫のことが大好きだったし、わたしは父が孫に会うことで少しでも長生きできるんじゃないかと期待した。
いっしょに遠くへ出かけることはできなかったけど、夏には孫と花火もした。うちの子どもたちの間で突然ブームになったUNOやナンジャモンジャというゲームにも付き合ってくれたりもした。
でも、その間もがんはどんどん父の体をむしばんでいった。秋に検査入院をすることになった時、「今回効果無ければもうできることはありません」主治医は母にそう告げた。
わたしは自分の父は幸せ者だと思っていた。
自然災害や不慮の事故、理不尽な事件で命を落とす人がいる。そんなニュースが毎日のように流れてくる。人生の幕を突然降ろされてしまった人たちがいる。
比べるのはおかしい、とは思う。それでも父は幸せなんだ、わたしはそう思っていた。
検査入院の結果が出た。その結果は父にも告げられた。
「おかしいな、なんで効かへんねやろなあ。」
父が言った。
わたしは父も覚悟ができていると思い込んでいた。それはわたしの自分勝手な思い込みだったのだ。
今まで経験したことのない、人生でたった一度の経験を前に、覚悟なんてできるわけない。父のことばを聞いてようやく気がついた。
最後の検査入院が終わってから、父は自宅で過ごすことになった。それまでと変わらず週末になるとわたしは子どもを連れて実家へ帰った。
父は孫に向かって「スキーへ行きたいな」と言った。もちろんとてもそんな状態ではない。どうやったら上手にすべれるようになるか、そんなことを孫に話していた。
父は孫といっしょにスキーに行くという気持ちを持っている。きっとほかにもやりたいことはいっぱいあるはずだ。
もうこの世にやり残したことはない。そんな死を迎えられる人なんて、いないだろう。
幸せな死、なんてきっとない。