この記事を書いている2016年は、あの「3.11」から5年が経過した年。
この日は朝からいくつも震災に関連したニュースを見ました。
5年という月日を長いと感じるか短いと感じるかはさまざまですが、「子どもの成長」という観点で見るとものすごく長い月日のように思います。
自分の子どもの5年前を思い出すとそれがよくわかりますよね。
そんなふうに思っていた時に気になるニュースがあったので、今回はその話を。
「3月11日の卒業祝い給食は非常識? 」というニュース
わたしが驚いたのはこちらのニュースです。
献立は栄養士、市教委の職員、学校給食センターの所長など20人以上で構成する研究協議会で決めているが、市教委によると、3月の給食を決めた際、異論は出なかったという。
しかし、市内の中学の男性教諭は「献立は3月に学校に配布され、市教委に日にちの変更を求めてもなしのつぶてだった。生徒に説明できない。鎮魂の日で祝う日ではない」と問題視している。
出典: 『埼玉新聞』
埼玉県の中学校で3年生にとって最後の給食の日に「卒業お祝い献立」が提供されるそうです。
それが今年は3月11日に重なったため「震災のあった日にお祝いをするなんて非常識」という意見が教員から出ているんだとか。
えっ!? なに言うてんの?
というのが最初に頭に浮かんだ正直な感想です。
確かにわたしたちにとって「3.11」は5年経った今もやはりセンシティブな日であることには変わりません。配慮が必要なこともあるでしょう。
ですが、このニュースが伝えているのは「中学生の卒業のお祝い」の話です。しかも批判をしているのが教員ということにわたしは驚きました。
子どもの成長を祝うことも復興への道
今、中学3年生ということは震災のあったあの日にはまだ小学5年生だったわけです。その子どもたちの5年後。中学校での3年間を一緒に過ごした友だちと食べる最後の給食です。最後の給食は卒業お祝い献立。
その日が3月11日だろうが、心からお祝いしてあげれば良いやん!
震災のあった2011年もいろんなイベントが自粛されたのが記憶に残っています。
あの時もあまりにも過剰な自粛の連続が、震災そのもので落ち込んだ雰囲気をさらにきゅうくつで殺伐としたものにしていたように思います。
震災当時に小学5年生だった子どもたちは例え直接被災していなかったとしてもいろいろな感情を抱いていたのではないでしょうか。
そんな状況が続く中、中学校に入学し3年間の中学生活を通して大きく成長したであろう子どもたちの卒業のお祝いでしょ?
もしもわたしが先生なら3月11日だからこそ生徒たちと向き合い5年間の成長を讃えて中学校卒業をお祝いしてあげたいと思うけどな〜。
しかし、市内の中学の男性教諭は「献立は3月に学校に配布され、市教委に日にちの変更を求めてもなしのつぶてだった。生徒に説明できない。鎮魂の日で祝う日ではない」と問題視している。
出典: 『埼玉新聞』
「生徒に説明できない。」っていうのはあまりにも発想がきゅうくつな感じがしますね。
自粛の気持ちも大切かも知れませんが、それよりも子どもの成長を祝う気持ちの方が復興へつながるんじゃないでしょうか。
この記事のまとめ
5年経った今も自粛論が出てくるほど、あの震災がわたしたちに与えたショックは大きいものでした。
物理的な復興もまだまだこれからという状況だからこそ、特に明るい未来が広がる子どもたちのイベントはきゅうくつな発想にとらわれることなく、素直にお祝いしてあげたら良いのではないかと感じました。
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